慌ただしさがひと段落した頃、私とティオ様は二人で皇都で休日デートを楽しんでいた。
通りに出ると、皇都ならではのざわめきが押し寄せてきた。
商人が値を張り上げる声、子どもの笑い声、楽器を奏でる音。
焼きたてのパンの香ばしい匂いや、香辛料の刺激的な匂いが混ざり合って、胸の奥まで賑やかさを流し込んでくる。
「あ、ここって……!これ買って食べましょう!」
◆
屋台のざわめきが背中越しに遠のき、二人は並んでベンチに腰掛けた。
手にした紙袋から漂う、香ばしい砂糖とバターの匂いがふわりと風に混ざる。
「ラスク食べたいなって思ってたんです!……このラスクですよね?ティオ様が好きって原作で言ってたやつ」
「うん。ルシ、本当によく覚えてるよね」
「はい、レオン様との思い出の味なんですよね?」
私がそう言うと、ティオ様はそっと私の口元についた砂糖を指で拭い取り、くすっと笑った。
「ルシがいないときに買って、差し入れに行こうかな」
少し意地悪な響きに、私は思わず眉をひそめる。
「なんで私は絶対レオン様に会えないんですか!」
少し怒ったように抗議すると、ティオ様は「そういう顔も可愛い」と言わんばかりに目を細めた。
賑わう街の声と、焼き菓子の甘い香り。
その合間をすり抜ける風が、ふっと頬を撫でていく。
まるでざわめきから切り離されたように、二人だけの静かな時間が流れていた。
肩をぴたりと合わせたまま、ティオが思い出したように呟いた。
「そういえば……例の個人サロンも、人気みたいだね」
「そうなんです。一時的に令嬢たちが興味持ってるのかと思ったんですけど、会員制なのが貴族にうけたのか……最近またすごいことになってて」
「すごいことだよ」
彼は少し疲れの残る私の頬を、優しく撫でてくれる。
「私はただ……ティオ様に下着、喜んで欲しくて始めたんですけどね。保管する場所が欲しかったから」
そう言って、私は隣に座る彼の腕にぎゅっと捕まった。
「でも、これで忙しくてティオ様に会えないのは嫌だから、もう専任のスタッフを見つけてお願いしました。セシルも文句ばっかり言うし」
くすっと笑えば、ラスクの甘い香りが鼻先をかすめる。
「サロン開くときに、事業計画書だけは見様見真似ですけど、作りこんでて……それが功を奏して、なんとかなってそうです」
「ルシ……すごく勉強して、それをちゃんと活かしてる。本当にすごいね」
「……!」
まるでこの小さなベンチだけが二人だけの世界になったようで、胸の奥があたたかく満たされていく。
「ルシの可愛いほっぺにちゅってしたいけど、昼間だし外だから……我慢しとく」
そう言って、にこっと笑われた瞬間――陽光に縁取られた横顔が眩しくて、胸がきゅっと高鳴る。
(すき!!!)
「じゃあ……戻ってしますか?」
私が顔を近づけて囁くと、ティオ様は一瞬目を見開き、すぐに楽しそうに笑った。
それから甘いものを両手いっぱいになるまで買って、私たちは別邸へと戻っていった。
◆
帰宅すると、私たちはソファに並んで腰を下ろした。
少し身を寄せると、ティオ様がそっと私の頬に触れ――ちゅ、とだけ。
すぐに離れてしまった唇に、思わず不満がこぼれる。
「……ほんとに、ちゅだけで終わるんですか?」
「最近ルシ、忙しかったでしょう。やっと会えたんだから、今日はゆっくりしたいな」
優しく笑われても、胸の奥では(もっとしたいのに……)と拗ねた声が響く。
「一段落したから、しばらく一緒に居られますよ!」
そう言った私に、ティオ様は少し目を細めた。
「ルシいつもそう言って、またすぐ僕のことほったらかしにするからな」
わざと口を尖らせて、拗ねるような素振りをみせる姿がまた可愛くて胸が音を立てて縮む。
「もぅ、可愛いんだから……すぐ拗ねるティオ様は、こうしてやります。」
私はむくれる彼の顔を両手で挟み、むにむにと頬を揉む。
「……それにしても、ほんとに綺麗な顔。いつ見てもうっとりします」
頬をむにむにしながら、私はぽーっと呟いた。
するとティオはふっと微笑み、今度は彼の両手が私の頬をそっと包む。
「ルシこそ、綺麗だよ」
思わず、互いの目をじっと見つめ合う。
――そして、ふっと同時に笑みがこぼれた。
次の瞬間、ゆっくりと唇が触れ合う。
名残惜しそうにゆっくりと唇が離れた後、また身を寄せ合って、静かな時間が流れた。
「……お菓子いっぱい買ったから食べませんか?……あ、チョコもある」
テーブルの上の可愛らしい箱に目を留めて、私はそっと手を伸ばす。
「日本ではよくあるお菓子なんですけど、ここでは珍しいですよね」
一粒つまんで、隣に座るティオ様の口へぽいっと入れる。
「ん、美味しい」
私も自分の分を口に入れて、二人で甘いお菓子を味わっていたが。
――ん?なんだか芳醇な香りが……
「あれ、これ……お酒入ってる…?」
口の中に広がるほのかな香りに、思わず眉をひそめる。
(あ、この体でお酒口にするの初めてだ。大丈夫かな)
少しだけ不安になって固まる。
けれど、ほんの少量だし、全然平気なようだった。
ほっと息をついた、そのとき――
「……ルシ」
呼ばれて顔を上げると、ティオ様の目が、とろんと甘く細められていた。
「……僕、お酒ダメ……」
ティオ様がぽつりと呟いた次の瞬間、手が胸元へと伸び――シャツのボタンがひとつ、またひとつと外されていく。
「ちょっ……!? ティオ様!?」
「……暑い……」
上気した表情で胸元がはだけていく様子を見て、思わず私の顔も赤く染まる。
「ティオ様っ!」
私は慌てて横の水差しからグラスに水を注ぎ、彼の目の前に置いた。
「はい、お水飲んで落ち着いて!」
「……いや」
そう言うと、彼はそっと私の首元へ顔を近づけた。
「ティオ様……?」
すりすりと頬を擦りつけられ、くすぐったさと熱がじわりと広がっていく。
「……ルシ、ひんやりしてて気持ちいい」
低く囁かれた声が、まるで熱に浮かされた吐息のように耳元を撫でる。
ティオはふっと腕の力を緩め、ルシフェリアに体重を預けるように覆いかぶさる。
熱を帯びたまま、力が抜けるように、すうっと瞼が落ちていった。
「……えっ……、……え!? ティオ様!? 続きは!? 」
押しつぶされながら、慌てて声を掛けるが返事はない。
聞こえてくるのは、静かで深い寝息だけ。
(ちょっと待ってよ……これ、普通男女逆のパターンじゃない!?)
ぽかんとしながらも、悔しさと熱を持て余したまま、ティオの胸を軽く叩く。
「ティオ様の、バカ」
それでも、寝顔が可愛いから怒れないルシフェリアだった。
◆
目を開けると、視界に見慣れた天井が映った。
――あれ、ソファ? なんで寝室じゃなくて……あ。
なんとか記憶を辿ると、甘い香り、ルシの笑顔、そして――チョコ。
(そうだ、あのチョコに……お酒、入ってたんだ)
普段なら絶対に口にしないはずのもの。
(とんでもなく弱いから飲まないようにしてたのに……)
重い頭を振りながら洗面所へ向かい、蛇口をひねる。
冷たい水で顔を洗い、ふっと息を吐く。
タオルに手を伸ばして、顔を上げたその瞬間――
鏡越しに、ルシと目が合った。
「……うわっ!」
反射的に声が漏れる。
鏡越しに目が合った瞬間、ルシはぷいっとそっぽを向いた。
「……どうしたの?」
慌てて声をかけると、返ってきたのはふくれっ面と一言。
「え……?ごめん、本当に……僕、なにかした?」
ルシの肩にそっと触れると、ひょいっと逃げられる。
「謝っても許しません」
拗ねた声が、思った以上に胸に刺さる。
(やっぱり何かやらかしたんだ…)と、ただただ焦りながら、どうにか機嫌を直そうと必死になる。
慌てる様子を見て、ルシは声を漏らしながら笑った。
「いっぱいぎゅってしてくれたら、許します」
いたずらな瞳に、可愛い、と思う気持ちが溢れて止まらなかった。
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