翌朝——
アデライドとのやりとりが、頭の中で何度も反芻される。
ちょっとずつ考えてみようと、私は父の執務室を訪れていた。
「お父様……後継者教育、もう少し真面目にやってみようと思います」
そう告げると、父は一瞬驚いたように瞬きをし、すぐに机の引き出しから山のような本と資料を取り出した。
「この間の貴族名簿も結構量あったけど大丈夫か?」
「あ、はい。それもお持ちしました」
そう言って、先日借りていた貴族名簿を返そうと差し出した。
「覚えるまで持っていていいぞ」
「……?もう覚えたので大丈夫です。ありがとうございました」
その瞬間、父の目が大きく見開かれ、しばし固まった。
「……お前にはいつも驚かされるな。……無理のない範囲でやってみてくれ」
(……なんでそんなに驚いてたんだろう?)
私に何ができるかはまだわからないけれど、とりあえず引き続き簡単な暗記ものを進めてみることにした。
◆
セシルはルシフェリアの身支度を整えながら驚いていた。
(ルシフェリアお嬢様が、珍しく朝から机に向かっておられる)
窓から差し込む陽の光を背に、背筋を伸ばして資料に目を通す姿は、まるで長年その場所が居場所であったかのように自然だ。
ずっと――本当にずっと、後継者になるのは嫌だと仰っていたのに。
性格が変わられた後でさえ、“推し活”とやらに夢中になって、勉強などまるでなさってこなかったというのに。
静かにお茶を差し出すと、お嬢様は顔を上げ、ぱっと柔らかな笑顔を見せてくださった。
「ありがとう、セシル」
やっぱり、この笑顔には敵わない。
手を差し伸べたくなるお方だ。
「……ようやく、私の本来の出番がきそうですね」
「? 今までも出番あったじゃない」
ルシフェリアがペンを手にしたまま首を傾げると、セシルは苦笑した。
「お嬢様が将来侯爵になった時に補佐できるように――という条件で雇われております。ですが、お嬢様が教育を受けられなかったので……これまでは侍女として身の回りのお世話だけをしておりました」
「えっ、そうだったの!?」
ペンが机にコトンと落ち、あたふたするお嬢様につい笑みが零れる。
突拍子もないことを言われたり、わがままで振り回されることも多いけれど、それでも――
それでも微力ながら、この方を支え続けよう。
そう心に誓った——その直後だった。
「ねぇセシル。可愛い下着作りたいんだけど、どう思う?」
危うくカップを取り落とすところだった。
「なっ……何を仰っているんですか!?」
「いや、ドレスは快適なんだけど、下着が全然可愛くないでしょ?ティオ様に可愛いの見せたいのに……」
お嬢様は至って真面目に話しているようだった。
が、突拍子のない言葉に一瞬、心臓が跳ねた。
(……それは……少し、私も興味が……)
思わず喉が鳴ってしまう。
「そんなものっ……」
そういって、視線を逸らしたのちに、おずおずともう一度口を開く。
「……でも……少し、少しだけ……興味はあります」
「え!?セシルもしかして恋人いるの!?婚約者いないって言ってたけど!?」
「……い、いえ……まあ……」
ついプライベートなことが口から洩れてしまった。
お嬢様は食い入るように身を乗り出して、目を輝かせている。
「なにそれ!なんで早く言ってくれなかったの!?じゃあいいの出来たらセシルにも報告する!!」
「お、お嬢様!そういう話は……」
セシルは顔を赤らめながらも、どこか否定しきれない自分に気付いていた。
◆
セシルに彼氏がいるなんて、全然気づかなかった。
ルシフェリアは衝撃の事実に、すっかり思考があちこちに飛び回っていた。
(……これは、下着のアドバイスとかもらっちゃおうかな。だって、今の下着って本当に色気ないのよね)
サロンでコルセット不要でドレスを着れるよう、ブラジャーのような形の下着を作ってもらってはいる。
いわゆる現代的なドレスに下着を普通に着用するような形式で。
でもショーツは伸び縮みするようなものではなく、短めのドロワーズ。
(これはこれで可愛いけど。”色気”って点ではいまいちなのよね)
顎に手を当てて少し唸ると、いつものように頭の中に雷が落ちたような衝撃が走る。
(いや、待って。レースで構成されたスケスケのショーツってどう!?紐のやつもいいわ……昔、使う予定もないのにネットショップで購入してみようか迷った、あれ!!……やばいやばい、絶対そんなのあったらティオ様大喜びだ、私天才か!?)
一人でにやにやしながら、机に突っ伏してしまった。
(……これは最強だ。……あ、やばい。完全に脱線してる)
――私ははっと顔を上げた。
「……いけない、こんなこと話してる場合じゃなかった」
「?」
「今日、ティオ様が泊まりに来るでしょ?夜は絶対集中できないから……今のうちに進めないと!」
そう自分に言い聞かせ、私はまた机に向かい、資料のページを繰り始めた。
そう、今日はティオ様が仕事終わりで侯爵家にお泊まりに来てくれることになっている。
お父様もお母様も、浮き足立ってシェフに食事の手配をしていた。
そんなふたりの様子を見ていたら、私まで胸が弾んでしまって――どうにも落ち着かない。
(ティオ様と夜いっぱい遊ぶためにも、がんばろうっと)
窓から差し込む朝日が、部屋の机をやわらかく照らす。
セシルがそっと淹れてくれた香り高いお茶の湯気が、ふわりと広がった。
——朝日がやけに眩しくて……それだけで、今日が特別な日になる気がした。
☜前の話へ 次の話へ☞


