クラウスと別れたあと、私たちは街角のカフェに立ち寄り、テラス席へと腰を下ろした。
白いクロスの上に置かれたティーカップから、ふんわりと紅茶の香りが漂う。
アデライドはひとくちだけ飲んでから、頬杖をつき、うっとりと遠くを見つめていた。
(え、本当に……? わかりやすすぎない?)
私は思わず彼女の横顔を観察しながら、声を潜めて切り出した。
「ねぇ、アデライド嬢……クラウスに、一目惚れ……した、とか?」
「っ――ち、ちがいますわ!!」
ガタン、と音を立ててカップを置いた彼女の頬は、見る間に真っ赤に染まっていく。
その反応に私は思わず頭を抱えた。
(いやいや、クラウスって“綺麗な人を見たら声をかける”で有名なのに……アデライド嬢、大丈夫かな……?)
心配がぐるぐると胸を巡る。
けれど考え込んでも仕方ないと、私はわざと明るい声で話題を変えた。
「……ところで、アデライド嬢って、社交界にはよく顔を出してるんですか?」
「ええ。……あまり好きではありませんけど、お母様に“場慣れも必要”と叩き込まれておりますので」
先ほどまで夢見るようだった表情が、きゅっと引き締まる。
その変化に、私は思わず見惚れてしまった。
(やっぱりしっかりした人だな……)
「とはいえ、表面上の会話しかしませんわ。……まぁ、探り合いですわね」
「なるほど……なんか戦場みたい」
「ええ。誰がどの家と懇意にしていて、どういう立場なのか――特に“これから結婚相手を探す”ような年齢になれば、なおさらですわね」
アデライドは淡々と語りながら、紅茶をひと口すする。
視線はどこか遠く、ほんのり上気した頬に夢見る色が差していた。
(……絶対、今クラウスのこと思い出してる!)
◆
一息ついたあと、アデライドがふと何かを思い出したように顔を上げた。
「――そういえば」
「ん?」
「あなたのドレスの件で、侯爵家、今けっこう話題に上がってますのよ」
「……え?」
首を傾げる私に、アデライドはカップを静かに置き、さらりと続けた。
「……よく話題に上がるからこそ、気をつけたほうがいいですわよ?」
「……?」
「あなた、侯爵家の後継者なのでしょう? もう少し、しっかりなさったほうがよくてよ」
「……え!」
目をぱちくりさせたまま固まる私を見て、彼女は真剣な眼差しを向けてきた。
「――あまり声を大にしては言えませんが、ミルフォード侯爵家は、我が家と同じく“領民に寄り添った”経営をしていますわ。けれど、すべての家門がそうとは限らない。なかには、自分たちの利益ばかりを優先して、平民の暮らしなど知ったことではない、という方もいます」
紅茶の甘い香りの中に、少しだけ緊張の空気が混ざった気がした。
(……お父様も、そんなこと言ってたな)
私は意外なほど大人びた彼女の言葉に、目を見張った。
「そういう家門から、“面白くない”と思われる可能性もありますわ」
「…………アデライド嬢、すごい……」
思わず感嘆の声が漏れた。
「アデライド嬢も、跡を継ぐとか?」
「私はお兄様がいますから……ただ、勉強してるだけですわ」
謙遜しながらも、背筋をぴんと伸ばして言い切るその姿に、胸の奥がじんわり熱くなる。
(……本当に立派。私と同年代とは思えない)
気づけば尊敬の眼差しで見つめていて、思わず口が勝手に動いていた。
「……ねぇ、私のこと……ルシフェリアでいいよ」
不意の提案に、アデライドは一瞬驚いたように瞬きをして――
ふっと柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、私のこともアデライドで」
「……ううん、アディって呼ぼ」
「っ……ほんっと、図々しいんだから」
ぷいっと顔を逸らしたその横顔が、うっすらと赤い。
私はこっそり笑いを噛み殺した。
紅茶の湯気に包まれながら、彼女の可愛らしい仕草が胸の奥をくすぐる。
(……クラウスの件はさておき)
今日あらためて気づいた――
アディの強さも優しさも、私にとって見習いたいものばかりだってこと。
そう思いながら、私はそっとカップを傾けた。
◆
カツ、カツ、と車輪が石畳を叩くリズムが、穏やかな揺れに混ざって耳をくすぐる。
ルシフェリアは馬車の窓に映る景色を眺めながら、アデライドの言葉を何度も思い返していた。
(……今まで、深く考えたことなんてなかった。ただ“楽しい”にまっすぐだっただけで)
けれど、彼女の言葉が静かに心に残っている。
(領地にはたくさんの人がいて、その暮らしを守るのが“侯爵家”の務めなんだ)
好きな布でドレスを作ることも、誰かを笑顔にすることも素敵。
でも、その“誰か”が安心して笑っていられるように――その土台を支えるのが自分の役目なのかもしれない。
「お父様、若いから……すぐに跡を継ぐってわけじゃないけど……」
ぽつりと呟いた声が、馬車の中で柔らかく響く。
(でも、もし私が“なんとなく”で後を継いだら……誰かが困るかもしれない)
思い浮かんだのはただ一人。
(……世界で一番、大切な、ティオ様)
彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。
彼が安心して暮らせる世界を守りたい。
そのために、私も“守る側”にならなくちゃ。
(……もう少し、真剣に考えてみよう)
きゅっと唇を結び、背筋を伸ばした瞬間、窓の外から差し込んだ夕陽が、ルシの金髪を淡く照らした。
その瞳には、ほんの少しだけ――新しい決意の色が宿っていた。
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