午前の光がやわらかく馬車の窓を照らし、軽やかな揺れが体を包み込む。
揺れるリズムに身を委ねながら、私はふと一通の手紙を思い出していた。
『この間のドレス、急いで着たかったから既製品を購入したものだったの。思っていたよりずっと着心地が良かったから、今度ちゃんと仕立ててみたいくて。よければ、ご一緒してくださらない?』
筆跡は整っていて、文面も控えめ。けれど行間からは、アデライドらしい誠実さと、少しの照れがにじんでいる。
その素直さが嬉しくて、自然と頬が緩んだ。
(あのあと何度か手紙のやり取りもして、お茶会にも誘ってもらった。……“友達”って言ってもいいくらいになれたのかも)
しかも、今日は一緒にドレスを選びに行く約束。
日本での感覚で言うなら、親しい友達とショッピングに行くようなもので――
胸の奥がくすぐったく、少し高鳴った。
◆
待ち合わせの広場には、ちょうど同じ頃に二台の馬車が滑り込んだ。
扉を開けて外に出ると、陽光の下にアデライドの赤い髪がきらりと光る。
「お待たせしました」
ルシフェリアが笑顔で声をかけると、アデライドは軽くスカートの裾を摘んで優雅に一礼した。
その口調は、いつものように少しだけツンとした響きを帯びている。
「わたくしも今、来たところですわ」
澄ました横顔の端が、わずかに緩んでいるのを私は見逃さなかった。
(……ほんとは楽しみにしてたんだ)
そんな確信に、小さく笑みがこぼれる。
ふたりで並んで歩き出すと、石畳を踏む靴音が心地よく響いた。
ガラス扉をくぐった瞬間、香り立つ紅茶と香油の匂いがふわりと漂う。
奥から現れたサロンの責任者が、満面の笑みで出迎えた。
「ルシフェリアお嬢様! 先日の舞踏会でお召しになったドレス、大変ご好評をいただいております。あちこちから同じものをとご要望がありまして……まさに大人気でございます」
「……そうみたいですね。ありがとうございます」
頬をほんのり染めながら微笑む。
誇らしい気持ちと同時に、少しむずがゆい。
「今日はアデライド嬢のオーダーにご一緒したんです」
「まあ、それは光栄でございます!」
にこやかなやり取りが続き、室内は一層華やいだ空気に包まれた。
◆
テーブルの上に並ぶのは、艶やかなサテンや柔らかなレース。
指で触れれば、するりと光が滑るような手触り。
「この深い青、とっても綺麗……」
「でも舞踏会ならこちらの赤も映えますわ。照明の下で輝く色ですもの」
「確かに、アデライド嬢には赤が似合いそうですね」
ふたりは布を重ねては首を傾げ、まるで子供のようにきゃっきゃと笑い合った。
やがてアデライドが少し顔を寄せ、囁くように言った。
「ねぇ……本当にこれ、あなたが考えたの? コルセットを付けないドレスなんて、最初は驚いたけれど、試したら信じられないくらい楽で」
「えへへ。私が楽したかっただけなんですけどね」
「……お母様からは、“そんなに楽していたらすぐ太るわよ”って叱られましたの」
思い出したように苦笑する彼女の横顔が、どこか愛らしい。
「でも……私も、ルシフェリア嬢みたいに“好きなことを好き”って言える人になりたくて。ほんの少しだけ反抗してみましたの」
「……アデライド嬢」
互いに見つめ合い、思わず笑いがこぼれる。
そして、ルシが口元を覆いながら小声で囁いた。
「ほんとのこと言えばね……」
アデライドの耳元に唇を寄せ、いたずらっぽく囁く。
「“婚約者のティオ様がすぐ脱がせられるように”って思って作っただけだったりして」
「――――っ!!???」
アデライドは椅子から飛び上がりそうな勢いで真っ赤になった。
「あなたっ!!そ、そういうことは外で言うものじゃありませんっ!!」
ぷるぷる震える肩を見て、ルシはくすっと笑う。
「ふふ、ごめんごめん。でも、好きな人ができたら便利かも?」
「……うるさいですわね!」
怒っているのか照れているのかわからない声に、ルシはますます笑みを深める。
「というかあなた、さっきからずいぶんくだけた口調ね」
「え、だって……もう友達だから、いいでしょ?」
「まったく……あなたは本当に礼儀知らずね」
そう言いながらも、アデライドの口元はほんのり緩んでいた。
「……まぁ、嫌じゃないですわ」
その頬の赤みが、何よりの本音を物語っている。
◆
オーダーを終えたふたりは、陽気な鐘の音が響く通りを並んで歩いた。
「今日はいいお天気でよかったですわね。少し暑いけれど……」
「この辺り、日陰が多いから涼しくて助かりますね」
そんな他愛のない会話をしていたときだった。
ふと視線の先に、見覚えのある背の高い男性の姿。
癒術理院で何度も顔を合わせた――クラウスだ。
(街で会うなんて珍しい!)
「――クラウスーっ!」
思わず声を上げると、彼は気づいて穏やかに手を振ってきた。
「あ、ルシフェリア嬢。こんにちは」
にこやかに返す私の隣で、小さな息が漏れた。
「……王子様……?」
「――えっ?」
思わずアデライドを見ると、彼女は頬をほんのり染め、目を潤ませてクラウスを見つめていた。
まるで恋に落ちた乙女のように――。
(ま、まさか……アデライド嬢!?)
焦る私の脳内に、警報が鳴り響く。
(クラウスの“美人レーダー”が反応したら……!)
けれど、クラウスは淡々と微笑んで軽く頭を下げただけだった。
「お連れ様は……ルシフェリア嬢のお友達ですか?」
「はじめまして。クラウス・ウェルナーと申します。ルシフェリア嬢とその婚約者の友人です」
「……っ、アデライド・エルディアです」
いつものような軽口も、気障な褒め言葉もない。
完璧な“営業スマイル”のまま、クラウスは一礼して去っていった。
人混みに消えていく背中を見送りながら、私は小さく首をかしげる。
(……あのクラウスが、美人をスルーした?何か変……?)
視線を戻すと、アデライドがぽかんと立ち尽くしていた。
ふたりで顔を見合わせ、そっと笑い合いながら、カフェへと歩き出す。
――新しい友情と、少しだけくすぐったい午後の風が、静かにふたりを包み込んでいた。
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