ある日の夕暮れの静かな研究室。
机いっぱいにノートを広げ、ルシフェリアはペンを走らせていた。
(ふふふ……アデライド嬢から聞いた“陛下の噂”……これはもう、新作に組み込むしかないでしょ!!)
妄想の泉は止まらず、すでに頭の中ではレオン様と陛下が火花を散らしている。
「ティオ様を巡って対立する二人……背格好の似たイケメン同士でいとこ……これは映える!」
頬を赤らめ、にやにやしながら原稿を書き殴っていると――。
「……ルシちゃん?何してるのかな?」
「ひっ……!」
背後から低く穏やかな声。
振り返るまでもなく、それがティオ様の声だとわかり、ルシフェリアの心臓は――爆発した。
「……また変な妄想して」
背後からふっと笑う声とともに、ティオの腕がルシを包み込む。
「絶対、それ落とさないでね」
後ろから抱きしめられながら、耳元に囁かれて心臓が跳ねた瞬間。
彼の低い声が、さらに熱を帯びる。
「それより――僕は”ルシの”だって、散々騒いでたのに。レオンや陛下に譲るつもり?」
そう言って耳たぶを甘噛みされて、息が詰まる。
「~~~っ!!ちょっと、噛まないでください」
「ふふ、ごめんごめん……もう終わった?なら、帰ろうか」
差し出された手を取って、いつも通りを装いながら立ち上がる。
(耳弱いと思ってすぐいたずらしてくるんだから……帰ったら、仕返ししてあげないと)
ルシフェリアの思惑など知らぬまま、夕暮れの研究室を後にした。
◆
別邸に戻って玄関をくぐるなり、我慢の限界とばかりにティオに飛びついた。
「ティオ様……いつも私の耳たぶ弄んで……これは私も弄ばないといけません!」
「え、ルシ?また何か始まった?」
じりじりと奥に追いやり、そのままソファに仰向けに転がした。
ふわりと広がるスカートを気にも留めず、ルシはティオの上に覆いかぶさる。
膝で彼の両脇を挟み、逃げ道を塞ぐようにじりじりと距離を詰め――
「ま、待って、ルシ……!」
ティオは慌てたようにルシフェリアの両肩に手を添え、目を見つめ返す。
「今日は、その……ぎゅってして、いちゃいちゃするだけじゃ、だめ?……ルシをずっと抱っこしてたい」
思いがけない言葉に、ルシフェリアの動きがぴたりと止まった。
甘い表情でそう言われて、胸の奥がじわりと熱くなる。
「……ずるい。そんなの、きゅんとしちゃうじゃないですか……」
そのまま覆いかぶさるように、ティオの腕の中に身を預けた。
ただぴったりと抱きしめ合って、静かに鼓動を感じ合う。
「……ねぇティオ様、キスしたい……」
「……うん」
ふたりの唇が、そっと触れる。
「……ティオ様って、こうやってぎゅってするの、好きですよね」
しみじみと呟くと、ティオはにこりと笑顔になり――
「うん。……こうやって僕に身を預けて、ふわーってとろけてる時の顔本当に可愛いんだよね」
一瞬で顔に熱がこもったのを見て、ティオはくすくすと笑っていた。
むしろその反応が嬉しそうで、余計に腹が立つ。
「……もう、知りませんから……」
ぷいっと顔を背けると、ティオはふふっと笑って、再びぎゅっと抱きしめた。
「可愛い、本当に可愛い……大好きルシ」
その一言で、心はまたふにゃりと溶けてしまうのだった。
「……私も、ただこうやってティオ様とくっついてるの、好きです」
穏やかな時間のなか、ぽつりと呟く。
ティオは優しく微笑みながら、ルシフェリアの髪を撫でた。
「そっか。僕も――」
「……でもそれって」
心の奥でふつふつと熱が込み上げてくる。
ティオの手を取り、指を絡めながら、じっとその目を見上げる。
「”終わった後”でも、できますよね?」
その囁きに、ティオは息を呑んだ。
一瞬で、空気が熱を帯びる。
先ほどまでの穏やかなぬくもりが、たちまち鋭い熱に変わって――
ティオの顔にそっと近づくと、下唇に小さく歯を立てて噛みついた。
「……っ」
ティオの肩がびくりと揺れる。
その反応に目を細め、ティオの唇を舌でなぞる。
「……もう、ルシ……」
ティオが呻くような声を漏らすと、自然と唇が開いて、深く唇を重ねる。
深く、熱く、どこまでも甘く――
互いの吐息が混じるほど近くで、ふたりは何度もキスを重ねていった。
◆
まだ体の奥にじんわりと残る痺れと、心地よい疲労感に包まれながら、二人はベッドの上に身を沈めていた。
「……ティオ様って、すぐ汗かくじゃないですか。おでことか、首とか……あと、喉のあたりも……」
「え?……うん」
ティオが怪訝そうに眉をひそめるのをよそに、ルシは目を輝かせながら語り始めた。
「いつもも思ってるんですけどね? その、喉に汗がつう……って伝って、鎖骨のところに流れていくのが、めちゃくちゃ良くて……」
「ちょっ……」
「無防備で、なんか色気がすごくて……それに連動して喉仏が動いて……あぁ、スケッチしたい」
「……ダメ!」
勢いよくシーツをめくりかけると、ティオは慌てて手を掴んだ。
「……ちょっと、何しに行くつもり……っ」
「何もしませんよ?」
顔を覆ってぐったりするティオに、ルシはにへらっと笑いながら、そっと喉元に指を這わせた。
「しかもティオ様、仮眠室で昼寝してる時、しょっちゅうお腹出して寝てるじゃないですか」
「え?……そんなに?暑がりだからかな」
「ほぼそうですよ!こっちはそれ見るたび、どんな気持ちでいると思ってるんですか!?……シャツの裾がめくれて、お腹と腰骨のラインがちょっとだけ見えてて……」
ティオのシャツの裾をちょんと持ち上げる。
細い腰に浮かぶ影へと指先を伸ばし、つつ、と軽く触れる。
「こ、ここ……っ!この線が……すごくて……っ」
言葉が止まらなくて、自分でも熱に浮かされたみたいにまくしたててしまう。
「……寝てる時だからよくわからないな」
「そう、わざとじゃないのが余計たち悪いんですよ!!本人は涼しい顔して寝てるけど、こっちは隅っこで悶えてるんですからね!?」
必死に力説するルシフェリアを見て、ティオはふっと肩で笑った。
「……そんなふうに見てたの……?」
「全部見てますよ!!というか、お腹出しスケッチはまた増やしました!!」
「いつの間に……」
ティオが苦笑しながら、優しく頭を撫でる。
ぽそりと、ルシフェリアは続けた。
「でもティオ様、ほんと温かくて……近くにいるのが心地いいんですよね」
そう言って、胸にもう一度顔を埋める。
小さな吐息が、ティオのシャツをくすぐる。
ティオはルシフェリアが大人しくなったのを見て、ぎゅっと腕に力をこめて背中を包み込むように抱きしめた瞬間――
「……今度、リュシアンお兄様にお腹出しスケッチ献上しようかなあ」
「……は?」
予想外のルシフェリアの発言に、ティオは驚いて背中に回した手が自然と解かれた。
「この間渡したのはお腹出てないやつだったから……」
「こらっ」
ティオは苦笑しながら、ルシフェリアの頬を両手でむにっとつまんだ。
「むうっ、のびるっ……」
「また家に飾るって言いだすからやめて……」
笑い合いながら、ふたりはぎゅっと腕を絡め合い、シーツの中でぬくもりを分け合う。
「……そういえば、陛下の生誕祭で知り合ったアデライド嬢とちょっと仲良くなったんです」
ふと思い出したかのように、ちらりと彼に視線を送ると、先日起こったことを話し始めた。
「あぁ、エルディア公爵家の令嬢か。……なんだかルシとは波長が合いそうだね」
「そうなんですよ、わかりやすいから話してて面白くて。今度一緒にマルシュリーヌでドレスオーダーしにいく約束をしたんです」
「へぇ……」
話を聞きながらティオが少し目を細める。
「そういえば、あのドレス。ちらっと耳に入ったけど――けっこう話題になってるみたいだね」
「え、お父様が言ってるだけかと思ったけど、もうそんな噂になってたんですね……!」
「きついコルセットで舞踏会の最中に倒れる令嬢もいるくらいだから……だからこそ、楽に着られて美しく見えるドレスが人気になるのも当然だよね」
そう言って、私の頭を撫でる彼をみながら、先日の両親とのやりとりを思い出した。
「楽したいし、ティオ様を誘惑したくてドレス特注しただけだったのに、なのに……お父様から“領地に良い影響を与える”ってすごく褒められてしまって……お母様まで嬉しそうにしてて……」
思い出しながらいたたまれなくなって、両手で顔を覆い小さな声で吐き出す。
「……もう恥ずかしくて死にそうでした。本当の事なんて、絶対に言えません……」
その必死な様子に、ティオは耐えきれずにくすっと笑った。
「ふふ……それじゃあ、このことは僕たちだけの秘密だね」
「……はい。……秘密って響きもちょっとえっちですね」
小さな声で呟いたルシの頬を、ティオは優しく撫でた。
二人だけの秘密を分かち合う甘やかな空気が、部屋いっぱいに広がっていった。
「……なんか、もうこのまま眠りたくなっちゃいます」
「だめ。ちゃんと着替えて、お風呂入って、ご飯も食べて」
「……はぁい」
名残惜しそうに身を寄せるルシの髪を、ティオはそっと整えてやる。
日常のひとときに戻っていく前に、もう一度だけ――軽く唇を重ねた。
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