足を踏み入れた瞬間から、会場のいたるところから視線が向けられる。
煌びやかなシャンデリアの光が揺れ、人々の瞳がまるで星のように瞬いていた。
(……なんか、見られてる?)
胸の奥に小さな緊張が走り、思わず首を傾げる。
けれど隣を歩くティオ様は、いつも通りの穏やかな表情で、何事もないように歩を進めていた。
「ティオ様、なんか……みんな私たちのこと見てます?……ティオ様が色っぽいから?」
冗談半分に囁くと、彼が一瞬肩を震わせ、吹き出す気配がした。
「……僕たちがお似合いだからかもしれないね?」
軽やかな声に、思わず二人で顔を見合わせて笑う。
そのまま、ぎゅっと手を握りなおすと、熱が伝わって、少しだけ心が落ち着いた。
――その後、玉座前での拝礼も滞りなく済ませ、注がれる視線にも少しずつ慣れてきたころ。
ふと、楽団の演奏が切り替わる。
柔らかな弦の音が空気を包み、ざわめきが変わるのを感じた。
「……歓談の時間、みたいですね」
「うん、ちょっと移動しようか」
互いに微笑み合いながら、ふたりはゆっくりと歓談スペースへと向かうことに。
宮廷楽団が優雅な旋律を奏でるなか、会場は次第に和やかな空気へと変わっていった。
テーブルの上ではワインがきらめき、刺繍の光るドレスが波のように揺れる。
香水と花の香りが入り混じり、夜の甘い空気が満ちていた。
「飲み物取ってくるから、少し待ってて」
ティオ様が席を外し、私は会場の隅で静かにグラスを手にした。
わずかな緊張が解けていく。
――そのとき。
「まぁご覧になって。あのドレス、コルセットしてませんわね?あれではウエストが太く見えるわ」
「ほんと。胸元は飾っても、腰回りは隠せませんわね」
近くの鉢植えの陰から、ひそひそとした声が聞こえた。
(わかりやすく悪口言われてる……なんか貴族っぽい……!)
笑いそうになるのをこらえながら、ルシは息を整えた。
悪口のひとつやふたつ、今の彼女にはもう怖くなかった。
動きやすくて、息が詰まらなくて――そしてティオ様が「似合ってる」と言ってくれた、それだけで十分。
そんな想いを胸の奥にしまっていたとき――
「ミルフォード嬢、ごきげんよう」
顔を上げると、見覚えのある令嬢たちが並んで立っていた。
鮮やかな色のドレスを纏い、頬を上気させながら微笑んでいる。
(この子たち、この前のドレスサロンで会った子たちだ)
「先日はお世話になりましたわ」
にこやかに会釈を交わすと、彼女たちは声を弾ませた。
「変なこと言ってる方たちのことは気にされないでくださいね。あの方々も、内心では羨ましいと思っているだけですのよ」
「このドレス、本当にコルセットなしで着用できるのですか?それなのにラインがすごく綺麗で……サロンに伺って、ぜひ拝見したいです」
たったその一言で、胸の奥がふっと温かくなる。
「……嬉しいです。ありがとうございます」
悪意のある視線もある。
けれど、こうして真正面から笑いかけてくれる人もいる――そう思うだけで、心が軽くなった。
令嬢たちと挨拶を済ませ、静かにティオ様を待っていると、近くから声が降ってくる。
「ごきげんよう」
ぱたん、と軽やかな足音が近づき、振り向くとそこにいたのは赤い髪に金の瞳を持つ令嬢。
炎のような髪が揺れ、金糸のドレスが光を反射している。
姿勢は完璧、けれどどこか肩肘を張ったような堅さがあった。
「ごきげんよう。はじめまして――」
「アデライド・エルディアですわ。ルシフェリア・ミルフォード嬢、長らく社交界にはお顔を出されていませんでしたのに、本日はいらっしゃったのね」
名乗りに合わせて、金の瞳がわずかに細められる。
その光に、思わず息を呑む。
(エルディア家……お父様が“堅実派”って言ってた公爵家……!)
「そのお召し物、とてもお可愛らしいですわ。……まるで“寛ぎの場”にふさわしい趣向のようにお見受けいたします」
「……?ありがとうございます。コルセットなしでも綺麗に見えるように作ってあって、すっごく動きやすいんです」
笑顔で答えた瞬間、背後に控えるセシルがこっそりと耳打ちした。
(お嬢様、今のは“ウエストを締めないなんてよく人前に出られますね”という意味です)
(え、そんな意味が隠されてたの!?さすが貴族、攻撃が上品すぎる……!)
セシルとそんなやりとりをしていると――
給仕がワインを運んで通り過ぎた瞬間、トレイの角がアデライドのドレスに引っかかった。
「っ――!」
布地が揺れ、彼女の身体がよろめく。
私は反射的に腰へ手を回し、ぐいっと引き寄せた。
「大丈夫ですか?」
視線が近づき、距離が一気に縮まる。
金の瞳がかすかに揺れ、彼女は息を呑んだ。
次の瞬間、ぱっと顔を背け、慌てて体を離す。
そして、近くにいた給仕へ鋭い視線を向けた。
「……あなた――!」
怒りの矛先を使用人に向けかけたその唇の前に、私の指がそっと伸びる。
「アデライド嬢」
柔らかな声とともに、穏やかな笑みを浮かべる。
「……怒るより、笑っていた方が綺麗ですよ」
一瞬の沈黙。
アデライドの頬がみるみる赤く染まり、瞳がわずかに揺らいだ。
「……っ、余計なお世話ですわ!」
ドレスの裾を翻して去っていく。
けれど、その耳の先まで赤いのを私は見逃さなかった。
ほんの一瞬、アデライドの足が止まる。
振り返りかけた横顔が陰に沈み、すぐに真っ直ぐ前を向き直る。
ドレスの裾を握る手が、どこか震えていた。
(ふふ……可愛い)
「お嬢様、大丈夫ですか?怪我なさってないですか?」
セシルが慌ててドレスを整える。
「もう、ほんとお嬢様は突拍子のないことを……それに、“アデライド嬢”ではなく、“エルディア嬢”とお呼びください」
「あぁ、そうだった。……でも問題ないわ。怒ってるようで怒ってなさそう。あれは満更でもない顔だったから」
「…………?」
そこへ、二つのグラスを手にティオが戻ってきた。
「お待たせ。……って、なんか騒がしくなかった?大丈夫?」
心配そうに眉を寄せる彼に、にっこりと笑って答えた。
「ううん、大丈夫です。ちょっと――ツンデレ令嬢と遊んでいただけです」
「……つんでれ?」
彼が小首をかしげるのを見て、思わず笑いを噛み殺した。
こうして、ルシフェリア・ミルフォードは――
久しぶりに社交界へと、その華やかな姿を戻したのだった。
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