――皇帝陛下の生誕祭当日。
気づけば、セシルと「どうしたら一番可愛く見えるか」を語り合っていた日々も、もう終わりを迎えていた。
まるで季節が変わるように、支度の時間があっという間に過ぎていった。
「……やっぱり、この髪型にして正解だったわね……」
鏡の前でくるりと回ると、光を受けた髪飾りがきらりと揺れた。
背後ではセシルが丁寧に櫛を入れ、最後の仕上げを整えている。
「整いました、お嬢様。あとは……こちらもお付けしてみてはいかがですか?」
そう言って差し出されたのは、小さなベルベットの箱。
見覚えのないその装飾に、私は小さく首をかしげた。
「え? それ、私が選んだものじゃないよね?」
返事の代わりに、セシルは手慣れた仕草で蓋を開けた。
――ぱっと、部屋の空気が変わる。
反射した光が、まるで小さな星屑のように宙を舞った。
「……わあ……」
思わず息を呑む。
そこにあったのは、上品な銀の枠に包まれた雫型のサファイア。
澄んだ青が、まるで青空のように美しい。
その隣には、同じ石をあしらったピアスが並んでいた。
「……ティオ様からです。『もう用意している物もあるだろうから、気に入れば使ってほしい』とのことでした」
「…………」
そっと指先で宝石を撫でる。
冷たいはずの感触なのに、胸の奥がぽうっと温かくなる。
「……これがいい。セシル、付けて」
セシルは微笑みながら、そっと背後にまわる。
金具が留まる音がして、首筋にひんやりとした感触が落ちた。
「お似合いです、お嬢様。ティオ様、きっと喜ばれますよ」
鏡の中の私は、いつもよりずっと華やかで――
目尻がわずかに柔らかくなって、頬の紅が自然と濃くなる。
幸せの色が、自分でもわかるほどに浮かんでいた。
◆
支度を終え、玄関へ向かう。
扉を開けた瞬間、そこに立っていたティオの姿を見て、息が止まった。
白を基調にした礼装。
光沢のある布地が揺れて、髪はいつもより少しだけ整えられている。
凛とした印象の中に、彼らしい柔らかさが滲んでいて――
(……ずるい。普段あんなに無頓着なくせに……今日に限って完璧すぎる……いやいつものラフな感じも好きなんだけど)
じっと見てしまって目が離せなかった。
「……おはよう。迎えに来たよ」
「……ありがとうございます、ティオ様……っ」
「君が来るまで落ち着かなくてさ。だったら、最初から一緒に行こうと思って」
そう言って差し出された手が、まぶしくて、心が跳ねる。
その仕草ひとつで、胸の奥がとろりと溶けていく。
馬車に乗り込んでも、鼓動はまったく落ち着かない。
窓の外を眺めていたティオが、ふとこちらを振り返った。
「……タイとチーフ、改めてありがとう。お揃いで可愛いね」
「ですよね? 絶対、私とティオ様お似合いだって思われます!」
ティオはふっと笑みをこぼし、私の耳元に指を伸ばす。
ピアスに触れた指先が髪をすくい、軽く揺らした。
「ルシがプレゼントしてくれたから、ドレスに合うものを選んでみたんだ。付けてきてくれてありがとう」
「……一目で気に入りました。きっと、私のことを思いながら選んでくれたんだろうなってわかって」
ティオの指が耳をなぞり、低い声が続いた。
「ドレスも、すごく似合ってるよ。……本当に、綺麗だ」
「……もう、ティオ様……言動すべてが反則なんです……」
私は慌てて窓の方を向き、赤くなった頬を隠した。
「……今日の夜は絶対、後悔させてやる……」
馬車の音にかき消されたと思ったその独り言。
「……楽しみにしてるよ」
けれど隣から、くすっと笑う声が返ってきた。
◆
会場の扉の向こうから、楽団の旋律とざわめきが重なって聞こえる。
空気がわずかに震えて、華やかな光が隙間からこぼれていた。
私はティオと並んで立ち、手のひらをぎゅっと握る。
(……いよいよね。今日こそ、みんなに見せつけてやるんだから)
身に着けているのは、特注で仕立てたドレス。
コルセットなしでも美しく着られるよう、細部まで調整された一着だ。
動くたびに布が体に沿い、まるで息をするように軽やかに揺れる。
(カミラが頑張ってくれたおかげね。動きやすくて、それでいて上品)
ふと横を見ると、ティオの装いが視界に入る。
彼のネクタイとチーフには、私のドレスと同じ生地が使われていて――
袖口のカフスには、私のピアスで作ったパールが光っていた。
(……完璧。どこから見ても、“私の”だってわかる)
思わず頬が緩みそうになったところで、隣から声が降ってくる。
「緊張してるの?」
「……え、いや、あの……武者震いです……!」
「武者震い!?」
ティオは目を丸くしたかと思うと、柔らかく笑って手を差し出した。
指先が触れる瞬間、音楽が一段と高まる。
――いよいよだ。
名を告げる声が響き、扉がゆっくりと開かれる。
一斉に降り注ぐ光と拍手。
宝石のような衣装が揺れ、香り立つ花の匂いが流れ込む。
皇帝陛下のための華やかな会場――
けれど今日、この瞬間だけは、私にとって“彼と並んで歩く舞台”だった。
「行こうか」
「はい……!」
腕を組み、微笑み合う。
照明の光が二人の影を重ね、社交界という大舞台へと、静かに一歩を踏み出した。
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