スポンサーリンク

42話 社交界再デビューのためにお母様と特訓中です

TL小説に転生した腐女子は推し様を攻めたい!ティオ ルシフェリア TL小説に転生した腐女子は推し様を攻めたい!
※本作品は過去作をもとに、一部表現を調整した全年齢版です。物語の世界観はそのままに、より読みやすく再構成しています。


ある日、私はお母様と向かい合っていた。

執務室より少し広い応接間。
窓からこぼれる陽の光がレースのカーテンを透かし、磨かれた床と家具を柔らかく照らしている。
けれど空気はなぜかぴんと張りつめていて、息を飲むほど静かだった。

お母様は微笑んでいるけれど、その目だけは真剣そのもの。
眉一つ動かさずに、視線の圧でこちらを黙らせてくる。

――そう、お父様が話を通してくれたおかげで、お母様が時間を作ってくださったのだ。

「よろしくお願いしますね、お母様、おほほ」

乾いた笑いを浮かべつつ、背筋を正す。

(少しやったくらいで完璧になるとは思ってない。でも、せめてミルフォード家の名に恥じないくらいには……!)

祈るような気持ちで、最低限の礼儀作法を教わることにした。

最初の課題は――ティーカップの持ち方。
微笑みながらそっと口元へ運ぶと、お母様が即座にため息をつく。

「……ルシ、あなた、本当にこんな基本的なことも忘れたの?」

じとっとした視線を受けながら、私はなんとか笑顔を作った。

「き、緊張で指先がつい……久しぶりですので~!」

誤魔化すスキルだけは転生前から健在である。

「……一日では無理でしょうから、ゆっくりやっていきましょうね」

指の角度、カップの傾け方、視線の置き方――ひとつひとつ丁寧に直されていく。

(うぅ……お茶を飲むのに、こんなに神経使う日が来るなんて……)

一つ覚えては次を直され、頭の容量がどんどん埋まっていく。

ティーカップ、ナプキン、椅子の座り方……。
気づけば、午前のお茶はすっかり冷めていた。






ようやく形になってきた頃、お母様がふっと微笑む。

「じゃあだいぶ形にはなって来たから……次は、ダンスに参りましょうか」

(……来た。最大の難関……!)

『生誕祭ほどの式典なら、ダンスは“必須”よ』

その一言を思い出しただけで胃がきゅうっと痛む。

当然、ダンス練習も始まった。
だが数分もせずに、お母様の口からため息がもれる。

「ルシフェリア。あなた、相変わらず壊滅的にダンスが下手だわ……」

(……なるほど、ルシフェリア本人も苦手だったのね)

どこか親近感が湧いて、思わず笑みがこぼれる。

「……ルシフェリア。笑ってる場合じゃないわ。ティオの足、踏んだらどうするの」

「……お母様。ティオ様は鍛えてはいますけど、きっと運動はできないタイプなので、私と同じようなもんだと思います!……大勢で踊るんですよね? 多分、そんなに目立たないから大丈夫ですよ」

その瞬間、お母様は無言で扇子を取り出し、額をそっと押さえた。
それは――“呆れました”の合図。

それでも、ふとお母様の表情がやわらぐ。


「でもね、ルシ」

声のトーンが、少しだけ柔らかくなっていた。

「我が家は数少ない侯爵家。アルバレスト家も、皇室に代々仕える名門。よほどのことがなければ、誰もあなたを責めたりしないわ」

「……?」

「つまり、姿勢を正して笑顔でいればなんとかなるの。私たちも近くにいるから、何かあれば目で合図してちょうだい」

お母様がくすっと笑う。
上品で、でもどこか茶目っ気のあるその笑い声に、緊張が少しだけほぐれた。


「せめて、ティオ様とミルフォード家に泥を塗らないようだけ気をつけます……!」

「ルシ……あなたが“教えて”って言うから、あれこれ伝えたけれど……そんなこと気にしなくていいの。あなたが楽しいかどうかが一番大事なんだから」

その言葉に胸がじんと温かくなる。
お父様もお母様も、私の心を一番に見てくれている。

「……うん。ありがとう、お母様。大好きっ!」

思わず抱きつくと、お母様は一瞬だけ固まって――そして、ふっと笑って背をぽんぽんと叩いてくれた。

「……もう、いつまでも子供なのね」

「ふふ……はい、まだまだ子供です……っ」

髪を撫でられる感触に、胸がじんわり温かくなる。

「でも、そういうのは家の中だけにしてちょうだいね。」

「はーい!」


返事をしながら、私は心の中で静かに誓う。

(お母様のためにも、ティオ様のためにも。……ちゃんと、頑張ろう)






「……ふぅ。やっぱりセシルのお茶がいちばんね」

陽光の差す窓辺で、私は優雅にティーカップを傾けた。
隣には侍女のセシル。
いつも通り背筋を伸ばし、完璧な所作で菓子皿を整えている。

「セシル、当日は早めに支度するわよ。完璧に仕上げないといけないから」

「かしこまりました、お嬢様」

「……そして当然、あなたも来てくれるわよね?」

にやりと笑うと、セシルの手がぴたりと止まった。

「……わたくしも、ですか」

「セシルがいないと私は終わりよ?」

「……そんな自信満々に言わないでください……っ!」

嘆きながらも、セシルは小さく頭を下げる。

「……お供いたします、お嬢様」

「ねぇセシル、ちょっとこっち来て」

私は小箱を取り出し、彼女にそっと差し出した。

「……お嬢様?」

「開けてみて。セシルに似合いそうなもの見つけたの」

セシルが蓋を開けると、中には小さなアメジストのブローチと揃いのピアス。
淡い紫の宝石が、光を受けて静かに輝いている。

繊細な銀細工が蔓草のように宝石を包み、控えめなのに存在感がある。
それはまるで、セシルそのもののようだった。

「派手なのは仕事中はダメだって分かってるから、ちゃんとシンプルで可愛いやつ選んでみたの」

「……これは……」

「セシルのラベンダー色の髪と目に、すごく似合うと思ったの。よかったら式典に着けてきて欲しいなって」

セシルは一瞬言葉を失い、まばたきを繰り返す。

「……ありがとうございます。お嬢様……っ」

「ふふ、そんな大げさに受け取らなくてもいいのに。……あっ、ちなみにちゃんと私のお小遣いで買ったから安心してね?」

「……な、何をご安心すればよいのか、ちょっとわかりかねます……」

「えっ、だってミルフォード家は”堅実派”ってお父様言ってたのに、悪いところから勝手に出したとか思われたら困るでしょ?」

思わず笑うと、セシルも肩の力を抜いて微笑む。
そっとブローチを手に取り、光に透かして見つめた。

「……では、お言葉に甘えて、つけさせていただきます」

「うん!とっても似合うわよ、セシル」

私は得意げに笑って、扇子をくるりと回す。

「それと――私って、ちょっと記憶が曖昧なところがあるじゃない?」

「…………」

セシルの無言の視線が痛い。

「だから、何かあったら頼むわよ。頼れるの、あなただけなんだから」

「……承知いたしました。全力でお守りいたします」

――こうして、私の“社交界再デビュー”の日は、少しずつ近づいていくのだった。


☜前の話へ   次の話へ☞