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4話 公爵家へ――冷たい屋敷を出て、優しい出迎えに触れる日

××すぎるんです、公爵様・・・っ!レオン セレナ 公爵家へ――冷たい屋敷を出て、優しい出迎えに触れる日 ××すぎるんです、公爵様・・・っ!
※本作品は過去作をもとに、一部表現を調整した全年齢版です。物語の世界観はそのままに、より読みやすく再構成しています。


旅立ちの日は、思ったよりもあっけなく訪れた。
まるで、屋敷に“災いの元”を一日でも長く置いておきたくないと告げるかのように、準備は淡々と進められていった。

荷物は最小限だった。
古びた鞄に詰めたのは、必要な衣服と数冊の本、そして――
小さな体を毛布で包んだ、眠る猫。

「……寒くないかな?」

そっと猫に話しかける。
ぬくもりを求めるように、もぞもぞと体を寄せてきた。

屋敷の前には、既に馬車が待機していた。
見送りの姿は、どこにもない。

……もう驚くことでもなかったけれど。

「行こうか、猫ちゃん」

小さな鞄と猫を抱えて、セレナは一人で歩き出した。
朝露に濡れた石畳に、足音だけが静かに響く。

御者がちらりと視線を向けたが、何も言わず馬車の扉を開けてくれた。
乗り込んだ瞬間、ほんのりと革の匂いが鼻をくすぐる。

扉が閉まり、ゆっくりと馬車が動き出す。

――ガタン。

遠ざかる屋敷を、セレナは振り返らなかった。
十八年を過ごしたその家に、未練などなかったからだ。

名ばかりの家族。冷えきった廊下。息をひそめて過ごす日々。
名前を呼ばれた記憶も、やさしい言葉をかけられた記憶も、ほとんどない。

唯一の救いが、今こうして膝の上で眠る小さな命だった。

(……この子と私、似ている気がする)

ぽつりと浮かんだその思いが、唯一の希望だった。

「……どこに行っても、同じなのかな」

それでも、あの家を出られたことだけは――ほんの少し、心を自由にしてくれた。

セレナは目を閉じ、馬車の揺れに身を任せた。

「公爵様って……どんな人なんだろう。私の条件を受け入れてくれたなら、きっと、冷たい人じゃないよね……?」

不安を紛らわせるように猫へ語りかける。
もちろん返事はないけれど、寝顔を見ていると、少しだけ心が落ち着いた。




やがて、馬車が止まった。

外の空気は冷たかったけれど、不思議と重くはない。
どこか張りつめた空気が、肌を緊張でひやりと撫でた。

「……着いたのね」

猫が小さく鳴く。セレナはそっと頷いた。

ここは、ノクティス公爵家。
公爵様は皇族の血を引きながらも、代々の当主が短命に終わることから“呪われた家”とも囁かれているという。

そんな家の主が、“不吉”と呼ばれた自分を、迎えようとしている。

納得はできない。それでも、扉の音に気を引き締めた。
疑問も不安も飲み込んで、セレナは馬車を降りる。

伯爵家とは比べものにならない、整った石畳。
高い塀に囲まれた庭園の向こうに、ひときわ目を引く人影があった。

(……あの方が、公爵様?)


視線を向けたその瞬間、言葉を忘れた。

銀の髪が風にそよぎ、陽光を受けて柔らかく光っていた。
長いまつげの奥には、澄んだ碧の瞳。
まるで氷の湖をのぞき込んだかのような、深く静かな眼差しだった。

整った顔立ちに、凛とした佇まい。
表情はほとんど変わらないのに、目が離せなかった。

(……綺麗な人……まるで彫像みたい……)

白の上着に青いマントをまとった姿は、まるで一枚の絵のよう。
その背中には、どこか孤独の影が差しているようにも見えた。

みすぼらしい自分の服が、急に恥ずかしくなる。
彼の視線に気づいて顔を伏せたが、なぜかその眼差しは、冷たくなかった。

「……セレナ・アルシェリア嬢、ですね」

静かで落ち着いた声が、そっと名前を呼ぶ。

「……はい。私が……」

言葉に詰まり、顔を上げるのが少し怖くなった。
けれど彼は、ほんの少しだけ頭を下げて言った。

「ようこそ。……私は、レオン・ノクティスです」

その所作は丁寧で、思いがけないほど礼儀正しかった。
猫をきゅっと抱きしめる。猫が不安そうに鳴いた。

「……猫、お好きですか?」

ぽつりとこぼれた言葉に、レオンのまなざしがやわらいだ。

「嫌いではありませんよ。……あなたの、大切な存在なのですね」

目を見開き、小さくうなずく。
本当に、この人が私を迎えにきてくれたの?

だけど、その目には嘲りも軽蔑もなかった。
それだけで、少しだけ胸がほぐれる。

「こちらへどうぞ。お疲れでしょう。部屋の準備は整えてあります」

彼の背を追い、セレナは静かに門をくぐった。

何が待っているのかは、まだわからない。
でも、確かにその背中は――彼女を「迎えてくれた」。

あの家では一度も感じたことのなかった温もりが、心にふっと灯っていた。

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