朝になっても、気持ちはどんよりしたまま。
昨日の夜、ひとりで考えすぎたせいか、胸の奥に重たいものが残っていた。
どうしても彼の顔が見たくて、今日も癒術理院の研究室へと足を運ぶと、ホールの中央で、見慣れた高身長の青年がこちらに気づき、手を挙げる。
「お、ルシフェリア嬢! ご機嫌いかが……って、あれ、なんか暗いな?」
「クラウス、こんにちは。……ちょっと、もやもやしてることがあってね」
「どうせ、ティオのことだろ?」
その直球に、少しだけ頬を膨らませながらも、私は素直に口を開いた。
「……なんか、私ばっかり好きみたいで……私だけが焦ってる気がして、ちょっと辛くて。……ティオ様我慢してるって言うけど本当かなーって……」
そう言った瞬間、クラウスが目を見開き、思わず口元を覆った。
「ルシフェリア嬢、そういうこと……俺にしか言っちゃダメだよ?」
「えっ、そ、そうなの……!?」
「ま、俺はそういうの気にしないけど。でもティオを見た感じ――相当我慢してるっぽかったけどな〜?」
「え……?」
にっと笑うクラウスが、優しく背中を押してくれるようだった。
「気にしなくていいと思うよ。伝えたいことがあるなら、ちゃんと伝えてみな?」
「……うん、ありがとう。クラウス」
***
研究室に入るとティオはいつもの調子で迎えてくれた。
いつも通り振舞ったつもりだった。
でも静かな私の様子に気づいたのか、彼はそっと私の前髪に手を伸ばし、耳にかけながら穏やかに問いかけてくる。
「ルシ。……何かあった?」
その声音は、まるで私の心の中にあるつかえをすべて見透かしているかのようで。
優しくて、あたたかくて――
さっきまでクラウスの前では笑えていたのに、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に詰まっていたものが一気に溢れ出した。
「……う、うぅっ……」
ぽろぽろと、涙が勝手にこぼれ落ちていく。
「ルシ!? ご、ごめん、僕なにかした?」
ティオが慌てた様子で私の肩を抱こうとする。
「ちが……っ、ごめんなさい……私の、心の問題で……」
絞り出すようにそう呟いたとき、
「……おいで」
ティオはそっと私を引き寄せた。
そしてそのまま、私を自分の膝の上に乗せると、ぎゅっと両腕で包み込むように抱きしめてくれた。
「大丈夫。僕はいつだってルシの味方だから。泣きたいときは、ここで泣いていいよ」
頭に触れるその手が、優しくて、柔らかくて――
(……なんで、こんなに優しいの……)
自分でも、限りなく面倒くさいことをしてしまっている自覚はあった。
それでも、昨日ふと感じた不安が急に溢れだして、心が悲鳴をあげるように涙が止まらなかった。
「でも、こんなになるってことは……僕のことでしょ?」
囁くような優しい声が、胸に染み込んでいく。
「……僕が、何か不安にさせた?」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
髪を撫でられるたびに、優しい声で呼ばれるたびに、心がほどけていくのに、涙だけはとめどなくこぼれ落ちてくる。
――ただ、愛されたい。
誰よりも、”自分”として。
そんな思いが、抑えられなかった。
ティオ様の膝の上に抱き上げられ、頭を撫でられているうちに、胸の奥に溜まっていたものが決壊するように言葉があふれ出してきた。
「……ティオ様のこと、好きすぎて……私、いつも暴走しちゃうし……頑張って誘惑してるのに……全然進まなくて、もどかしくて……」
いったん言葉を切って、ティオ様の胸に顔をうずめる。
そして、ぽつりと続けた。
「……それに、見た目のことも……ちょっとだけ、不安で……」
涙でぐしゃぐしゃになりながらも、胸の奥にあった不安をすべてさらけ出すように、絞り出す。
「……私の見た目……綺麗って言われるし、自分でもそう思うけど……」
少し言いよどんで、けれど目をそらさずに続ける。
「ティオ様が、もし……私が元の世界の姿だったとしても……好きになってくれたかなって……そう思うと、なんだか不安になっちゃって……」
声が震える。
けれど、想いを止めることはできなかった。
彼は、黙って私の言葉を受け止めていた。
すべてを言い終えたあと、彼はそっと私の体を少し離し、目元を指先で拭った。
「……ルシフェリア。泣かないで」
そう囁くと、濡れた睫毛に、優しく唇を押し当てた。
そのままもう一度抱きしめ直し、今度はぎゅっと、深く。
「……ルシ。僕も相当我慢してるんだよ」
穏やかな声が、鼓膜を震わせる。
「毎日、早く婚約式終わらないかなって思ってる。早く君に触れたくて、たまらない」
決して怒るわけでも、茶化すでもなく、ティオ様は静かに、けれど熱をこめて、丁寧に伝えてくれた。
「それに……見た目は、たしかにすごく綺麗だけど。……ルシには失礼なこと言ったけどさ、最初“タイプじゃない”って言ったの、覚えてる?」
私は、少しだけ顔を上げてティオ様を見た。
彼は微笑みながら続ける。
「……つまり、見た目よりも君の中身に惹かれたってこと。……暴走するところも含めてね」
ずっと頭を撫でながら、まるで大切な宝物を扱うような仕草で、私を抱きしめてくれる。
「――自作の妄想小説作る子、他にいる?」
ふっと微笑んだその顔に、私の胸がまたきゅうっと締めつけられる。
「素直で、まっすぐで、一生懸命で。ルシフェリアがずっと僕を見ててくれたことが……僕にとっては一番、宝物みたいなことなんだ」
しばらく言葉を選ぶように、ティオ様は呼吸を整え、そして――
「……ルシも、ほんとはわかってるでしょ? 僕がどうしようもないくらい君のことが好きだって」
その一言に、堪えていたものが崩れた。
「……っ、うぅっ……!」
もう抑えきれずに、私は彼の胸に顔を埋めて泣いた。
ティオ様の腕の中で、ただ、何度も頭を撫でられながら――
安心と、愛しさと、溶けてしまいそうな幸せに包まれていた。
「よしよし、不安だったね。……ごめんね」
そう言いながら、彼は責めることなく、ただ私の頭を撫で続けてくれた。
その手はあたたかくて、ずっと泣いていた胸の奥を、そっと撫でてくれるような優しさだった。
どれくらいそうしていたのだろう。
気持ちが落ち着いてきたころ、ティオがそっと問いかけてくる。
「ルシ、ごめん。……ちょっとだけ、終わらせないといけないやつがあるから。片付けていい?」
私が頷くと彼はそのまま私を抱き上げ、机へと向かっていった。
椅子に腰を下ろすとまた私を膝の上に乗せ、片手で私の頭を撫でながら、もう片方の手で器用にペンを走らせ始めた。
規則的な筆音が心地よく響く。
私はそっと彼の肩に寄りかかりながら、少しだけ申し訳なさを滲ませて呟いた。
「……ティオ様、ごめんなさい。私……邪魔してますよね」
すると、ティオ様は手を止めて、ふっと優しく笑った。
「研究も好きだけど……僕にとっては、ルシより大事なことなんてないから。そばに居てくれる方が、僕は嬉しいよ」
たった一言なのに、胸の奥がまたじんわり熱くなる。
「……また泣かせる気ですかっ」
そう言って、私はティオ様の首に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
「ふふ、苦しい」
と、苦笑しながらも彼は私を抱きしめ返し、そのまま再びペンを動かし始めた。
少しだけ時間が経ち、書き終えた書類をまとめた彼が、いたずらっぽく微笑んで言った。
「――よし、終わった。……少しだけ、”いちゃいちゃ”する?」
その一言に思わず赤くなりながらも、静かに頷いた。
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