ゆっくりとルシフェリアをソファに押し倒すと、ティオは耳元に唇を寄せた。
「ルシ、久しぶりに会えたと思ったら……こんなことして。……ほんと、悪い子」
すぐ近くで吐息が触れる。
耳元に唇が寄せられたかと思うと、やわらかく、耳たぶを啄まれた。
「これ……してほしかったんでしょ?」
囁くような声にゾクゾクと背筋が震える。
耳に落とされた音を立てるキスに、ルシの身体から勝手に熱がこみ上げ、喉の奥からか細い声が零れてしまう。
「キスだけ……ね?」
そう言いながら、ティオは首筋へ唇を触れさせた。
チュッ、と音を立てて、キスが重ねられた瞬間――
全身がピクリと反応してしまった。
「……可愛い反応」
くすくすと笑うような声に、ルシフェリアは顔を真っ赤にして首を振る。
「ち、ちがっ……」
少しずつ唇が下に動いていく。
「……ここ、自分で見せてきたんだから。キスしても、いいよね?」
すでにドレスの紐を引っ張り、露わになっている鎖骨に、優しく、けれど執拗にキスが降り注いでいく。
「……ティオ様……」
もっと触れて欲しい。
そんな視線を送ると、ティオはふわりと優しく微笑んで、スルリと胸元の紐を結び始めた。
「……悪い子へのお仕置き終了」
「っ……え……?」
「いい子になったルシちゃんは……キスだけで、満足するよね?」
一気に込み上げる恥ずかしさと切なさで、ルシフェリアは顔を真っ赤に染めた。
「……ティオ様の、ばかぁ……っ」
涙をにじませそうな声でそう呟くと、そのままティオの首に抱きつくように、ぎゅっとしがみつく。
ティオは微笑みながら、その細い体を抱きしめ返し、耳元にやさしく囁いた。
「……ごめん、意地悪して。僕のために可愛いドレス作って着てくれるのは嬉しいけど……もう少し、大人しくしてて」
ぐっ、と胸が締めつけられる。
私はぎゅっと唇を噛み、しぶしぶうなずいた。
(……成功するとは最初から思ってなかったけど……もう少し近づきたかったんだもん……)
◆
自室のベッドの上でうつ伏せになった私は、何度目かのため息をついた。
指先でシーツをくしゃくしゃと丸めながら、もはや床を転がる勢いで体をくねらせる。
「はああああ……ティオ様、イケメンすぎるのが罪……」
ティーセットを手にしたセシルが、慣れた足取りで部屋に入ってきた。
ごろん、と再び転がりながら叫ぶ。
「キスしかしてくれないの……!!ティオ様が……かっこよすぎて……いつも勝てないぃ……!!」
「……そうですか」
もう慣れたと言わんばかりにセシルは話を区切ると、私を見てぽつりと呟いた。
「それにしても……その新しいドレス、かなり動きやすそうですね」
「そうなのよー! こんなに転がっても苦しくないの! ……っていうかセシルの制服、中どうなってんの?」
「え? あ、使用人ですから当然、コルセットを――」
「はあ!? ダメよそんなの! そんな身体締め付けてたら、体に悪いわ!」
突然の全力否定に、セシルが驚いて目を丸くする。
「ドレスサロンで、セシルの分も特注してもらうわ。すぐ発注よ」
「そ、そんな、私のためにオーダーメイドなんて……お嬢様、いくらかかると……」
そう言って、私はセシルの手を取ってまっすぐに見つめる。
「セシルの健康に代えられるものはないでしょ?」
「……お、お嬢様……!」
セシルは目を潤ませながら満面の笑みで微笑み、胸に手を当てて深くうなずいていた。
「健康に気を付けないと、私のわがまま聞いてもらえないから~」
「………………ルシフェリアお嬢様……!」
少し怒ったような表情をしながらも、いつも通りの顔に戻るセシル。
二人で目を合わせると、自然と笑みが零れた。
「あ。お嬢様、もうひとつ……侯爵様から“お嬢様のご都合の良い時に、執務室へ”との伝言を預かっております」
お茶を口に運びかけた手が止まる。
「……お父様から?」
嫌な予感を抱えながら、席を立ち執務室へ向かった。
◆
執務室へ向かうルシフェリアを見送りながら、セシルはふと目を細めた。
(……やっぱりお嬢様、あの日から随分と変わられた)
「頭を打った」と話してからの彼女は、それまでとはまるで違った。
以前のお嬢様は大人しくて、どこか遠慮がちで――でも、とても優しいお方だった。
けれど今は、まっすぐで、突拍子もなくて、とんでもなく自由で――
(……でも、やっぱり根っこは変わらないんですよね)
思いやりがあって、誰かのために本気になれる人。
「セシルの健康が一番!」なんて、真顔で言ってのけるその姿に、セシルは心を動かされた。
(振り回される毎日だけど……)
自然と、口元がほころぶ。
(――やっぱり、お嬢様が大好きです。またこれからも、たくさんのわがままを聞いて差し上げますわ)
静かに一礼をしてから、セシルはルシフェリアの背中を見送り続けた。
◆
「ルシフェリア!よく来たね」
執務室ドアを開けると、満面の笑みを浮かべた父――侯爵様が迎えてくれる。
(……すんごい笑顔だ、こわっ)
「ルシ。ずっとドレスサロンに通って、業務の手伝いをしていると聞いたぞ。……そのドレスを、貴族向けに売り出したいとのことで、先ほどサロンの責任者が我が家を訪ねてきた」
「……はい?」
一瞬、理解が追いつかず頭がフリーズする。
(え、何事?ドレス特注するのにお金沢山使ったこと怒られるのかと思ったんだけど……?)
「私はただ、自分が楽なドレスを着たかっただけですけど……」
(まあ誘惑は失敗したし、でも婚約式終わってから大活躍すること間違いなしだから。いいんだけど)
するとお父様は笑顔で大きく頷いた。
「そうやって、不便なことに気づき、改良しようとする姿勢が素晴らしい。そういう視点を持ってる時点で、もはや侯爵向きだぞ。父は感動した!」
「……え???」
(何の話?……なんでそんな壮大な話になってるわけ!?)
きょとんとしていると、お父様はさらに真面目な表情で尋ねた。
「それからもうひとつ。ドレスの図面を見ていた職人から、“あの資料を短時間で頭に入れたのか?”と聞かれてな……。ルシ、本当に覚えたのか?」
「? はい。大体一回見たら覚えますよね?」
「…………」
お父様は口を少し開けたまま、固まった。
しばし沈黙した後、深くうなずいて宣言した。
「……ルシフェリア。このまま好きなことをして構わん。だが、侯爵となる時に備え、勉学にも励みなさい」
「えっ、好きなことしていいんですか!? わーい!お父様大好き!!」
(お父様優しい……本当”ルシフェリア”に甘いんだなぁ)
噛み合ってるようで噛み合っていないまま、執務室での会合は終了したのだった。
◆
夜、自室に戻り寝支度を整えてもらった後。
「ありがと、セシル。おやすみ」
扉が閉まった音がやけに響いて、胸の奥にぽっかり穴があいたみたいだった。
たった今まで笑い声が響いていた部屋が、急に広くなったような気がした。
「ふぅ……」
私はそっと息を吐き、今日の事に思いを巡らせる。
「セシルもだけど、お父様もお母様も”ルシフェリア”のこと凄く好きなんだよなぁ。……すごく優しくしてくれるし、甘やかしてくれて。きっと元のルシフェリアが良い子だったからだよね」
ベッドに体を預けると、ゆっくりと体が沈み込んでいく。
「“今の私”は好かれているのかな……?」
セシルが部屋を出ていったあとから、そんな考えが頭の中を行ったり来たりしていた。
(寂しい……のかな。いや、そんなはずはない。いつも部屋にひとりで平気だったのに……なんか、今日は変だな)
心の奥のほうで、ざわざわと落ち着かない何かが蠢いている。
もうすっかり慣れて自分の部屋って感じがしてきたのに、どこか“借り物”みたいな感覚。
鏡に映った自分の姿が、ほんの一瞬だけ、他人みたいに見えた気がした。
(……やっぱり、この顔すんごく可愛い。……でも、元のルシフェリアのものなんだよね)
”美月”と入れ替わったことについて、もう納得はしていた。
あのときだって、美月は元の私の容姿に『この見た目、美人でラッキーだった』って書いていたから、美月も納得しているだろう。
でも――
(私の目には、”ルシフェリア”の方がずっと綺麗に見える。肌も白くて、金の髪が光ってて。目なんて宝石みたいで……)
それに、スタイルもいい。
元の私より背も高いし、胸も大きくて。
(ティオ様は……。この見た目じゃなかったとしても、私のこと、好きになってくれてたのかな?)
心のどこかで、少し引っかかっていた疑問だった。
まだ彼とは“最後の一線”は越えていない。
私がその気になっても、ティオ様はいつも優しく笑って、宥めるように頭を撫でて終わる。
(もしかして……本当は、触れたいって思われてない?……いやそんなことは、ないはず……でも、我慢してるって言うけど、本当かな……?)
この世界にやってきて、帰りたいとも思わなかったし、不安なんか何もなかったのに。
それなのに、ふと、自分が何者なのかわからなくなって、焦燥感のようなものを感じた。
(どうやって我慢してるって、確かめたらいい?どうやったらこの不安はなくなるの……?)
そんな不安を胸に早く明日が来るように、私は静かに目を閉じた。
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