朝食を終えたあと、私はしぶしぶながらも父の執務室へと足を運んだ。
分厚い扉を開けると、父はすでに机いっぱいに書類を広げ、こちらを待ち構えていた。
「よく来たな、ルシ。まずはこれを見てほしい。侯爵家が支援しているドレスサロンの運営報告書だ。直接経営はしていないが、毎月こうして報告が上がってくる」
そう言って、分厚いファイルを手渡される。
「昔はこういうの、全く興味を示さなかっただろう?……けれど、もし今少しでも関心があるなら、一度読んでみるといい」
(……思ったより、本格的なんだけど?)
恐る恐る開いてみると、中には売上推移や素材の仕入れ経路、職人の名簿、流行色の記録まで、驚くほど細かい情報がぎっしり詰まっていた。
「へえ……かなりしっかりしてるんですね、このサロン」
「当然だ。代々、侯爵家の仕立てはすべてこのサロンに任せてきた。信頼の証として、支援を続けているんだ」
(なるほど……そういう背景があったのね)
パラパラと資料をめくる指が、あるページの前で止まった。
そこには使用されている生地や素材の一覧が載っている。
「お父様、このサロンで扱う素材や技術の資料もありますか?……できれば、生地の特性や加工方法まで詳しく知りたいんです」
父が机に向かいながら、わずかに動きを止めた。
「それは……つまり?」
「視察に行く前に把握しておきたいんです。締め付けすぎず、美しいラインを作るには、素材の伸縮性や加工技術が重要ですから」
(この時代、ゴムなんてないし……下着もドレスも全部きつく締めるのが当たり前。脱ぎやすくて可愛いの、作れるかな……)
父は目を潤ませ、感極まったように何度も頷いた。
「わかった……!すぐに服飾技術の資料も揃えさせよう。日程も手配しておくからな……!」
「な、なんでそんな顔するんですか!?……自分のドレス新調したいだけですよ!?」
そう慌てて訂正しても、父の瞳はすでにキラキラと希望に輝いていた。
(待って、お父様……これはティオ様を誘惑するための準備であって、後継者教育じゃないのに……!)
こうしてルシフェリアは、望んでもいないのに“後継者コース”に片足を突っ込んでしまうことになるのだった。
◆
数日後。
侯爵家の馬車に揺られながら、私は隣に座る父の横顔を盗み見た。
視察に行きたいと言ったのは私だけど、いざ出発となると心臓が落ち着かない。
目的地は皇都にある高級ドレスサロン――Marcheline(マルシュリーヌ)。
上流貴族なら誰もが知る名店らしく、余計に緊張が募る。
(……“ティオ様が脱がせやすいドレス”の設計したいだけなのに、後継者みたいな顔で過ごさないといけないなんて……どんな顔したらいいの……!)
心の中で頭を抱えながら、揺れに身を任せた。
「ルシ……」
「……はい」
「こうして一緒にサロンを訪れる日が来るなんてな……父として感慨深いよ」
「……は、はは……」
言葉に詰まり、窓の外に視線を逸らすしかなかった。
やがて馬車が止まり、サロンの扉が開かれる。
スタッフや職人たちがずらりと並び、笑顔で出迎えてくれた。
父が一歩前に出て、誇らしげに宣言する。
「本日は後継者として紹介しよう。私の娘、ルシフェリアだ」
「えっ、お父様っ……あの……今日は見学だけのつもりで……!」
「次期当主直々のご来店とは、光栄の極みでございます!」
(えっ!?)
笑顔を貼り付けながら、内心で必死に焦りを押し殺した。
(ちょ、待って。なんか話が大げさになってきてる……!)
◆
サロンに入ると、まず目に飛び込んできたのは絢爛豪華なドレスの数々。
上質な布とレースに囲まれ、令嬢たちがオーダー相談をしている姿が見える。
(すごく可愛いけど……このリボンの数、何回ほどけば着替えられるの!?)
そんな中、令嬢のひとりがこちらへ歩み寄り、丁寧に挨拶してきた。
「ごきげんよう、ミルフォード嬢。本日は視察とのこと、お会いできて光栄ですわ」
転生してから初めて知らない令嬢に話しかけられて、思わず体がぴくりと反応してしまった。
あくまで冷静を装って、小さく息を吸い込む。
「わ、わたくしも……お目にかかれて、うれしく……おほほほほ……」
(やばい、令嬢感出そうと思ったのに全然だめだ!)
「?」
「……では、またお会いしましょう……おほほ」
慌てて笑いながら会釈し、その場を早々に切り上げて父の背後に隠れた。
(……とりあえず乗り切った?けど、……にしても、この時代には脱ぎやすいドレスなんて皆無ね。やっぱり私が作るしかない……!)
◆
奥の工房では、職人たちが慌ただしく行き来していた。
父が席を外したのを見計らい、私は責任者に駆け寄った。
「急ぎでドレスをオーダーしたいんです!」
侯爵令嬢の突然の言葉に、職人が目を瞬かせる。
「えっ、あの……ど、どのような……?表でもオーダー出来ますが……」
「違うんです。新たに設計したくて。私ひとりでも着替えられて、締め付けすぎず、でも綺麗に見えて……ボタンの位置まで計算された“着脱しやすい”ドレスが必要なんです!」
「……!!?」
「時間がないんです。私だけの特別な一着を、一緒に作っていただきたいんです!」
真剣な眼差しに、職人は圧倒されつつも静かに頷いた。
「……わ、わかりました。ミルフォード家の依頼とあらば全力で協力いたします」
「ありがとう!明日また生地選びから始めましょう!」
こうして――ルシフェリアの“創作活動”が幕を開ける。
誰もまだ知らない。
それが「推し様を惑わせるためのドレス開発」だなんてことは――。
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