淡い朝の光が、カーテンの隙間からそっと差し込んでいた。
セレナはゆっくりとまぶたを開き、ぼんやりと天井を見つめる。
(……いつの間に、眠っちゃったんだろう)
ふわりとしたシーツにくるまれながら、ここがレオンの部屋だと今さらのように実感する。
身を起こそうとしたその時、すぐ隣から静かな寝息が聞こえてきた。
「……っ」
レオンが、安らかな表情のまま、こちらに顔を向けて眠っている。
(えっ……!? 同じベッドで寝てたの!?)
気づけば彼に少し寄り添うような体勢になっていて、セレナはそっと息を殺す。
「……夢じゃなかったんだ」
気持ちが緩み、彼が昨日くれた「好きだ」という言葉が、何度も胸の奥に響いた。
頬がじんわりと熱くなる。
恥ずかしいのに、嬉しくて――このまま彼のそばにいたいと、強く願ってしまう。
そっと、セレナは彼の銀色の髪に手を伸ばす。
さらさらとした感触を確かめるように撫でると、次の瞬間、青く澄んだ瞳がゆっくりと開いた。
「……おはよう、セレナ」
「っ……!」
目が合った瞬間、セレナの心がどくんと跳ねた。
まだ眠たげな声には、どこか安心感のあるぬくもりが混じっていた。
「髪、触ってた?」
「……ご、ごめんなさい……綺麗で、つい……」
「ふふ。怒るわけないよ。君に触れられるの、嬉しいから」
そう言いながら、レオンの手がそっとセレナの頬に触れた。
その優しい手に、セレナは目を伏せつつも、自然と微笑みを浮かべる。
やがて、彼の手が頬から離れていく。
二人の視線がふっと重なり、しばらく言葉がなかった。
だけど、沈黙さえも穏やかで心地よかった。
しばらくして、レオンが静かに言葉を紡いだ。
「……セレナ。支度が済んだら……話しておきたいことがあるんだ」
「え……?」
「いや、話さなければならないこと、だな」
真剣な眼差しを向けるレオンの瞳には、それでも優しさがにじんでいた。
◆
ほのかに漂う、やさしい香り。
――自室で身支度を整えてからレオンの部屋へ戻ると、彼は紅茶を自ら淹れながら、セレナの到着を待っていた。
ゆっくりと彼の隣に腰を掛けた。
「やっぱり君と触れていると……身体が楽になる。まるで、長年纏っていた痛みや苦しみが、少しずつ溶けていくみたいに」
「……私も、そう……感じました。……とくに、昨日、く、唇が……触れた時……」
俯きながら頬を染めたレオンが、そっと私の頭を撫でる。
(……照れていたのは、私だけじゃなかったんだ)
少しの沈黙の後、レオンは考え込むように視線を落とし、静かに語り始めた。
「昨日の発作はね、以前話した“呪い”の影響なんだ。――代々、公爵家に受け継がれてきた呪い……」
彼の瞳が伏せられ、静かに語りが続いていく。
「それがいつ始まり、誰の手で何の目的でかけられたのか、詳しいことは何もわかっていない。ただひとつ……“公爵家の男子は皆短命で、先代が死ぬと次の代へと呪いが移る”という事実だけが、ずっと続いてきたんだ」
セレナは小さく息を呑む。
「俺も……その例外じゃなかった。父が亡くなったあと、体調に異変が出始めて。腰のあたりに、痣のような模様が浮かんだんだ。父の亡くなった晩、突然現れてね」
そう言って、レオンはシャツの裾を持ち上げ、背をこちらに向けた。
黒く滲む模様――まるで呪符のような、禍々しさを宿す痣が、そこには刻まれていた。
「……成長とともに悪化していったよ。熱は下がらず、手足は力が入らないし、内臓は焼けるように痛む。昨夜みたいに発作が起きることもある……。君と触れていない時は、いつも身体のどこかに異常を感じてる」
セレナの瞳に映るその痣が、彼の苦しみそのもののように見えた。
思わず手を伸ばしかる
しかし、指先はそっと空気の中で止まった。
「……呪いについての噂は広まってるけど、体調が悪いことは誰にも悟られないようにしてきた。公爵として、この家を守るためにね」
「……レオン……」
小さな声が、静かに胸を締めつける。
「以前セレナに尋ねられた時、黒髪と黒い瞳を持つ”者”が災いを祓うと話したけど……本当は、黒髪黒瞳の”聖女”が災いを祓うという伝承なんだ」
(……聖女……?)
まっすぐにこちらを見つめるレオンの眼差し。
「……君を初めて見た瞬間、不思議な気持ちがしたんだ。すぐにわかった。きっと、君こそが俺の希望だって。でも――」
ふっと言葉を切り、静かに低く呟いた。
「君を……利用するような形になってしまったこと、本当に、申し訳なく思ってる。……心から、すまない」
セレナは驚きに目を見開き、その言葉を胸の奥で繰り返す。
「……でも、君への想いだけは、ずっと変わらず――本物だよ」
レオンの青い瞳が、まっすぐに彼女の心を射抜く。
「……利用、だなんて……」
そう言いかけて、セレナはふと声を呑み込んだ。
代わりに、そっと彼の手を握る。
大きくてあたたかいその手には、どこか頼りなさもあって。
その弱さが、胸を締めつける。
小さく、心に波紋が広がる。
ずっと“不吉な存在”として生きてきた。
黒髪、黒い瞳。
家族からさえ目を逸らされていた私が、“聖女”だなんて――
(……そんな、こと……ありえるの?)
否定しかけたその瞬間、セレナの胸に浮かんだのは、あの時ベルとリナに触れた記憶だった。
傷が、触れただけで消えていった。
そして、レオンの苦しみが和らいだという事実。
(――あの瞬間、私の中から何かが流れ出ていった……)
小さく震える指先に、じんわりと宿る温かさ。
“何者でもなかった自分”という意識が、少しずつ形を変えていく。
(……私は、不吉なんかじゃない……?)
初めて芽生えた“存在の意味”。
目の前の彼が、私を必要としてくれている――ただそれだけで、胸が張り裂けそうなほど苦しく、愛おしく、温かかった。
ゆっくりと顔を上げ、セレナはレオンの青い瞳を見つめる。
「……こんな私に“役目”があるのなら。あなたのために、その力を使いたい」
一歩、そっとレオンに寄り添い、彼の胸元に額を当てる。
自分でも驚くほど自然に出てきたその言葉――
「……レオンのことが、好きだから」
その告白に、レオンは何も言わず、ただセレナを抱きしめた。
彼の腕の中で、もう彼女は震えていなかった。
(この手であなたを救えるのなら、私はもう、“いらない子”なんかじゃない)
静かに、心の中で呟いた。
(私は、あなたのために生きたい)
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