セレナは、公爵様へのその気持ちの正体がまだ分からずにいた。
ただ、静かに日々を重ねていく。
ベルと一緒に屋敷を歩き回ったり、リナと庭で穏やかな日差しのもと日向ぼっこをしたり。
夜になると、いつものようにレオンが部屋を訪れ、優しく手を握ってくれる――そんな毎日が当たり前のように続いていた。
そんなある日のこと。
開け放たれた窓から差し込む陽光の中で、セレナは自室の机に向かい、小さな首飾りを手に取っていた。
「ベルにも、何かお揃いのもの……つけてあげたいな」
そう呟きながら、針と糸に手を伸ばしたその瞬間、近くでお茶を淹れていたリナが驚いた様子で声を上げる。
「セレナ様、刺繍なさるのですか?」
「うん。家では身の回りのことは自分でやってたの。ドレスの裾も髪飾りも、全部自分で縫ってて……多分、手先は器用な方かも」
糸や首飾り、そして無地のハンカチを並べて、色合わせに悩むセレナ。
「……公爵様にも、何か贈りたくて」
ふと、指先に視線を落とす。
(もらってばかりだから……今度は、私から何か届けたい)
「まあ……素敵です!」
目を輝かせるリナに微笑みながら、セレナは声をかける。
「……よかったら、リナもどう?一緒の方が楽しいから」
「はいっ!」
ソファに場所を移したセレナの隣に、リナもお茶の準備を終えてすぐ腰かけた。
針を運ぶセレナの手は滑らかで、小さな首輪には淡いブルーの糸で、風に揺れる草花のような刺繍が丁寧に施されていく。
――心安らぐ昼下がり。
出会って日は浅いものの、年の近いリナとの距離は自然と近づいていた。
無言で作業を続ける間も、気まずさはなく、心地よい静けさが流れている。
「はい、これはリナに」
差し出されたハンカチには、蔦模様とリナの頭文字が丁寧に縫い込まれていた。
「えっ……私に? こんなに素敵な……一生大切にしますっ」
目を潤ませながらハンカチを受け取り、胸にぎゅっと抱きしめるリナ。
「私もセレナ様に何か作りますね!あまり得意ではないのですが……」
そう言って針を持った、そのときだった。
「……あっ!」
針先が指をかすめ、赤いしずくがじんわりとにじむ。
「大丈夫? 見せて」
すぐに手を取ろうとするセレナに、リナは慌てて制止する。
「だ、だめですっ。汚れていますし……セレナ様に触れていただくなんて」
だがセレナは、優しくその手を包み込むように握った。
「そんなことないよ、見せて」
穏やかだけれど芯のあるその声に、リナも逆らえず手を差し出す。
セレナの細い指が、リナの傷にそっと触れた瞬間――
ふわりと、金色の光が指先からこぼれ、花びらのように広がって消えていった。
「……え?」
リナが目を見開く。
ほんのさっきまで血がにじんでいた指は、跡形もなく綺麗に治っていた。
「うそ……」
「…………」
セレナはしばらく自分の手を見つめる。
そこから、優しい温もりが流れ出したような、不思議な感覚が残っていた。
「セレナ様……今のは……?」
「わからない。でも……助けなきゃって思っただけ。痛みはもう、ない?」
「はい……ありがとうございます。お水で流してきます、すぐ戻りますね」
リナは感謝の言葉を残しながら部屋を出ていく。
(驚かせてしまったかも……気味悪がられないかな……)
リナに触れた瞬間傷が消えた――
「……やっぱり、私って……何か、不思議な力があるの?」
ベッドに腰を下ろし、セレナは静かに両手を見つめる。
リナもベルも傷が治った。
でもーー
(公爵様に触れたときだけ、私の身体まで楽になる……あれは、なんでだろう)
他の誰に触れても、そんな感覚はないのに。
ただ、公爵様だけは――
(どうしてかわからないけど、触れたいと思ってしまう……もっと)
胸に広がるのは戸惑いと、どこか甘い期待。
そのとき、ノックの音がして、リナが戻ってきた。
「セレナ様、先ほどはありがとうございました」
ぴしっと姿勢を正して、まっすぐ見つめてくるその瞳に、セレナは小さく問いかける。
「……怖くなかった? 私、普通じゃないのかもって……」
不安げな視線を落とすセレナに、リナは力強く微笑んだ。
「怖いなんて、とんでもありません。セレナ様の力は――特別なものです」
「特別……?」
「はい。だから、これは秘密にしましょう。このセレナ様の力が公爵様に届くように、セレナ様のそばで、私が守ります。……こう見えて私、力強いんですから!」
冗談めかしながらも真剣なその言葉に、胸の奥がじんわり温かくなった。
「ありがとう、リナ……」
その声は震えていた。
嬉しくて、安心して……どこか救われたような、そんな気持ちに包まれていた。
(……私のことを、怖がらない人がいる。そばにいてくれる人が、いる)
――それだけで、どうしてこんなに心が満たされるのだろう。
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